天正伊賀の乱を扱っていながら、忍者ものではないということで興味があり、「山河果てるとも 天正伊賀悲雲録」を読みました。
伊賀は好きなんですけど、忍者忍者してるのは嫌なもので。
Book Data
作品名:山河果てるとも 天正伊賀悲雲録
著者:伊東潤
舞台:日本 (戦国時代)
書店リンク:
honto
紀伊國屋書店
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概要
丸山城を伊賀を攻めるための拠点にしようとしているのではないか、というところから、第二次天正伊賀の乱後、織田信長が安土へ引き上げるまでがメインです。
その中でも第二次天正伊賀の乱のウェイトが大きく、信長が来るまでにどうにかしなければということなので、信長はちょっとしか登場しません。
伊賀側が主人公側ですが、当然負けます。
最後にちょろっと数年後の後日談あり。
それぞれがそれぞれに守りたい物があり、守りたい範囲が違って、守ろうとする方法が違って。
それぞれがそれぞれにどうしたいか、どうするかを決め、それが原因で衝突し。
行動した先で出会ったもの、失ったもの、経験したことで変わっていき。
思考
ネタバレあり
伊賀側が地侍として描かれていたり、伊賀と甲賀が別に敵対していなかったり、というのは私には好印象でした。
忍者はいない、伊賀と甲賀は敵対してない派としては。
地理的な部分であれ? となるところがちらほら。いや、出だしからね。霊山とか柘植川の風景描写があればその辺だと私の頭は判断するわけですよ。
なのに、いきなり雨乞山で。おもわず、場所どこやっけ、と読み返してしまいました。
島ヶ原から玉滝への嫁入り行列を雨乞山から見るのもちょっと無理があると思う。
雨乞山付近の土がよろしくないという描写は、それは違うんだ。あの辺りは伊賀の中でもいい土なんだ。取り扱いにくいだけで、栄養のある土なんだ。
最後、ちょろっと後日談があるのですが、数年後なんですよ。
ということは、家康の伊賀越えがその間にあるわけで、しかもそこそこ近くを通っているはずの場所なんですね。なのに、スルーされていて。
主人公格の一人がその時期に伊賀にいるから、絶対に何かあると思うんですけど。
絶対的トップがいないから、それぞれがそれぞれの思いで動いて、それぞれの最善が違って。
言葉で説得されても変わらなかったのが、経験を通して変わっていって。経験って強いんだろうな、と。
あと、ずっとそうだった、そう言われて育ったから来る言葉より、経験を通して出てきた言葉の方が強いんだな、と。